なぜ、すわるのか?
静かに あるいていると、体の調子が整い健康になる。
静かに すわっていると、心の調子が整い健全になる。
何一つ、不思議な事はなく、だれでも理解してくれる、当たり前の事だと思います。
健康のために散歩をしている人や、椅子に腰かけて考え事をしている人を見て、怪しんだり、胡散臭く思う人はいないと思います。
ただ、すわることに、よけいな妄想をくっつけてしまうと、「あーでもない」「こーでもない」と自分の妄想で妄想をかき回してしまい、いつまでたっても、心が落ち着かない。
波立った池も静かにしておけば、やがて鏡のように澄んで自分の姿が映るのに、「これじゃいかん!」「何かしないと!」と焦り、棒でかき回したり、鯉を入れたりして、いつまでたっても、波立って本当の自分の顔が見えない。または鯉を見て、それが本当の自分の姿だと思いこむようなものです。
正直、長い時間、静かに、すわりつづけるのは、ある種の素質や恵まれた環境が必要かもしれません。
しかし、意識していないだけで、1秒でも2秒でも、短い時間なら誰でも静かに、すわったことがあるはずです。おしりが ついていれば、だれでも すわれますからね。
その静かな1秒で、本当の自分の姿が見られれば、何も問題はないのですが、そのような恵みあふれた方は滅多にいないので、私のようなものは その1秒を見るために、今でも すわっているのです。
静かに すわっていると、心の調子が整い健全になる。
何一つ、不思議な事はなく、だれでも理解してくれる、当たり前の事だと思います。
健康のために散歩をしている人や、椅子に腰かけて考え事をしている人を見て、怪しんだり、胡散臭く思う人はいないと思います。
ただ、すわることに、よけいな妄想をくっつけてしまうと、「あーでもない」「こーでもない」と自分の妄想で妄想をかき回してしまい、いつまでたっても、心が落ち着かない。
波立った池も静かにしておけば、やがて鏡のように澄んで自分の姿が映るのに、「これじゃいかん!」「何かしないと!」と焦り、棒でかき回したり、鯉を入れたりして、いつまでたっても、波立って本当の自分の顔が見えない。または鯉を見て、それが本当の自分の姿だと思いこむようなものです。
正直、長い時間、静かに、すわりつづけるのは、ある種の素質や恵まれた環境が必要かもしれません。
しかし、意識していないだけで、1秒でも2秒でも、短い時間なら誰でも静かに、すわったことがあるはずです。おしりが ついていれば、だれでも すわれますからね。
その静かな1秒で、本当の自分の姿が見られれば、何も問題はないのですが、そのような恵みあふれた方は滅多にいないので、私のようなものは その1秒を見るために、今でも すわっているのです。